『エメラルド寺院』第34回フォトコンテスト入賞 撮影:㈱日伸商会 永山雅規 氏

『エメラルド寺院』第34回フォトコンテスト入賞 撮影:㈱日伸商会 永山雅規 氏

名古屋の風景

Hisaya-odori-Park

水野 博子 氏 (安井管工業㈱)
水野 博子 氏 (安井管工業㈱)

 日本最大級のPark-PFI事業(公園内に設けられた商業施設からの収益を活用し、公園の整備や改修を行なっていく事業)として北部エリアとテレビ塔エリアを再整備し、2020年9月18日に開業。4つの「ZONE(ゾーン)」と5つの「ヒロバ」からなり、商業施設と公園が一体化した新たな都市公園である。また、NTTコミュニケーションズと提携し、2021年2月末までにICTを活用して匿名化したスマートフォンの位置情報から来園者の行動を解析したり、リアルタイムでの人物トラッキングにより迷子の捜索や不審者の追跡を行うと共に、混雑状況の把握やサポートを必要としている人を検知するという。

会議コーナー

定 例 理 事 会

1.開催日時   10月7日(水)

           午後3時

 

1.開催場所   水 道 会 館

 

1.理事定数   17名

 

1.出席理事   17名

特別寄稿コーナー

パラスポーツとの出会い

名古屋市上下水道局 港営業所 所長 林 幹雄

 

 名古屋市指定水道工事店協同組合の組合員のみなさまには、日頃より上下水道事業に多大なる貢献をいただき、誠にありがとうございます。

4月に港営業所へ異動してきました林です。

本市においては、南海トラフ巨大地震や集中豪雨による大規模災害の発生が危惧されていますが、その際には、みなさまと連携しながら対応していく必要がありますので、引き続きよろしくお願いいたします。

新型コロナウイルスが猛威を振るっていなければ、原稿を書いている今頃は、東京オリンピック・パラリンピックが開催され、その余韻に浸っている頃かなと思います。

パラスポーツとの出会いは、ブラインドサッカーの観戦に行った時に、PK(ペナルティキック)を目隠しして体験してみたこと、そして足の不自由な陸上短距離の選手がつける膝から下の板バネのような義足をつけて歩かせてもらったことです。いずれもとてもストレスが大きくて、何も見えないのに何でボールを操つりながら、相手選手をかわすことができるのだろうかとか、義足の体験では、想像以上にまともに歩くこともできないのに健常者が走るよりはるかに速いスピードで走るので、どれだけ鍛錬するのだろうかなんて思った覚えがあります。

私はパラリンピックのチケットが入手でき、新しい国立競技場に行くのを楽しみにしていました。オリンピックのチケットは、入手できませんでしたが、新国立競技場に行ってみたいというのと前述したようにパラスポーツに興味があったのでチケットを入手できたのは幸運でした。来年、都合が合えば行ってみたいなと思っているところです。

名古屋でもブラインドマラソン(視覚障害者マラソン)の活動があることを聞き、都合が合うときに参加し、一緒に伴走させていただいています。私は、マラソンを走ったことがないので、速いスピードで長く走ることはできませんが、ゆっくりと走ることや歩くことならできると思い、2年位前から、ブラインドのみなさん方に引っ張られて一緒に走り、鍛えてもらっています。

私の周りのブラインドの方は、以前は見えていたけど、病気が進行して、大人になってから、全く見えなくなったとか、なんとなく明るさだけ感じるという方が多いようです。ブラインドの方と一緒に走るようになって最初に感じたのは、晴眼者の私たちにはわからないだろうつらさがあるにもかかわらず、みなさんとても明るく、前向きで、自分なりの目標を見つけて走ってみえて、すごいなというかびっくりしたのが感想です。

コロナ禍で、密を避けるとかソーシャル・ディスタンスの確保とか言われ、サポートの必要な方々は、これまで以上に生きづらい世の中になってきましたが、ブラインドさんのパワーに負けないよう、いくつになっても目標を持って、明るく前向きに日々過ごしていけたらなと思っています。

筆の泉コーナー

健康のための新たなチャレンジ

名古屋市上下水道局 施設部 施設管理課

                         事務係 山田 有美奈

 

 今年の4月から歯列矯正を始めました。決心したのは昨年末で、年明けからカウンセリングや検査等をおこない、やっと装置をつけたのがこのタイミングです。費用が高いことと矯正の痛みが心配だったため、かれこれ3年程は実行に移せずにいました。ところが、遠方に住む祖母が「自分の歯を大事にしなさい。入れ歯は食べ物を嚙み切れなくて不便だ。」と電話をするたびに脅して(?)くるようになったので、始めることにしました。

 ここで質問です。私たち成人の永久歯は何本でしょうか?

 答えは、28本~32本です。

 親知らずが4本とも生えると、永久歯は32本。親知らずが全く生えないと28本です。昔に比べて顎が小さくなっている現代人は28本が生える充分なスペースがなく、自然な流れに任せていてもなかなか綺麗な歯並びにはならず、私のように歯列矯正をする人が多いそうです。(歯科医談)

矯正には、一部の歯を抜歯した上で矯正する方法と、抜歯はせずに装置で歯並びを外に広げる・少しだけ削って隙間をつくる・奥歯を更に奥へ移動させる、といった方法をとる非抜歯矯正があります。

 私の場合は、非抜歯だと充分なスペースが確保できないと判断されたため前者になり、親知らず4本を含む合計8本の抜歯(!)が必要と診断されました。人生で初めての抜歯、まずは右側の前から4番目の歯(上下)を、2週間後には左側の同じ歯を抜歯しました。5~10分で終わると聞いていた処置が、1つの歯を抜くのに20分程かかってしまい、処置が長引くほど痛みも増えるそうで、抜歯後はすごく痛かったです。

 痛みは抜歯だけではありません。ほぼ月に1回のペースでワイヤーの調整・付け直しをするのですが、ワイヤーがきつめに締められるので歯を動かされる痛みで数日感は固い物を食べられません。

 ここまでの内容で、痛みというデメリットにばかりスポットを当ててきましたが、矯正を始めてからいいこともありました。歯を綺麗な状態に保つため、歯ブラシだけでの歯磨きだけでなく、歯間ブラシ・フロス・デンタルリンスを使って入念に歯のお手入れをする習慣が身につきました。また、歯が少しずつ動いて、徐々に綺麗な歯並びになってきているのがわかると、やってよかったと思う気持ちがより大きくなります。

 11月は、日本歯科医師会が定めた「いい歯の日」(11月8日)があります。この機会に、皆さまの大切な歯の健康について今一度チェックをしてみるのはいかがでしょうか。

 

談話室コーナー

思い出

熱田支部・有限会社 北村水道工業所  

 北村 大

 

 もう少しで、1年が終わろうとしています。今年はコロナの影響もあり

沢山の思い出が、作れなかった人がたくさんいるのではないでしょうか。

私には、中学1年生になった息子がいます。

入学を前にしてちょっとしたイジメを受けていたことに気が付きました。

同じサッカークラブの子たちでした。まさかと思いましたが現実でした。

本人やクラブ関係者と色々話し合った結果、「辞めたい」と本人から言われました。

入りたくて入ったチームだったので私自身、とてもショックでした。

時期が時期なので新しいチームに入るのは無理だと思っていました。

友人に相談したら、「難しいね」と言われました。でも、「先生に連絡すればいいじゃん」と言われました。先生とは、私や友人がお世話になった中学時代のサッカー部の恩師です。今は、サッカークラブを作り監督をしています。

しかし、私自身、進学先などいろいろお世話をしてもらいながら、途中でサッカーをやめてしまい、その報告もせず27年がたち連絡がしずらいと思っていました。

すると突然、電話がありびっくりしました。開口一番「大変だったな」と言っていただき、すぐに「お前の子供だからすぐに連れてこい。

うちで預かるから心配するな」と言ってくれました。友人が私の事を気にして先に経緯を説明しておいてくれたみたいです。大変ありがたかったです。

そして、自分自身の事も話そうとしたら、「お前のことは27年前に聞いているから大丈夫」と言っていただきました。それから色々話をさせていただき、無事、入団できました。

コロナの影響で7月中頃から少しずつ練習が始まり8月中頃から試合もできるようになり新しいチームメイトと楽しそうにプレーする息子を見れてよかったです。私自身も、送り迎えついでに、恩師やチームスタッフなどと昔話などでコミュニケーションが取れて楽しく過ごせています。コロナによる自粛生活、息子のイジメ、嫌な思い出だけで今年が終わらなくてよかったです。息子のおかげと言ったらよくないかもしれませんが、自分の心の中のモヤモヤが無くなり、昔に戻れた気がしました。人とのつながりは財産だと改めて感じました。息子には辛かった時がありましたが、新しい先生、チームスタッフ、チームメイト、これからの人生で出会う沢山の人とのつながりを大切にして進んでいってほしいと思います。

私と息子にとって忘れられない思い出の1つになったことには間違いありません。

これから先も人とのつながりを大切にして、思い出をたくさん作っていってほしいです。

消防コーナー

地震に備える54

名古屋市消防局OB 近藤 博

 

昭和19年(1944年)東南海地震(26)

 

 引き続き、「中央防災会議「災害教訓の継承に関する専門調査会」報告書1944

東南海地震・1945三河地震 平成19年3月」の報告書をもとに、三重県の熊野灘沿岸における津波被害の実態をみていきます。

 

三重県の被害(その12)

津波をどう察知したか

 最後に、報告書では津波というインパクトには直接触れていないものの、津

波という事態がやってくるということを、どう察知したかについて、

1 地震=津波連想

2 過去の経験・言い伝え 

の二つに分類して、体験談を紹介しています。

 

1 地震=津波連想

 報告書では、「地震=津波連想」について以下のように述べています。

 「津波避難で大切なのは「地震=津波連想」である。つまり、沿岸部にいて

地震の揺れを感じたら、「即、津波の危険性を思い出して、高い場所(高台・

高い鉄筋コンクリートビルの上階など)に避難する」ことを連想し、そして

「最初の波が収まったあとも、第2波・第3波があるため、津波警報が解除

されるまでは戻らない」という鉄則である。

ここでのポイントは、地震直後に「地震の詳しい情報を得ようとしない」

「警報を待たない」「どんなにあいまいな状況でも逃げる」ことである。

  あわせて、「体験談からは、地震=津波連想が育まれていた地域があるこ

とを知ることができる。」と、述べています。

 

  1. 大地震に大津波が来るという言い伝え

   紀勢町 谷口正平(当時26歳)

  「地震のあと、誰ともなしに「津波が来る」と叫んだので、みんな仕事を

投げ出して自分の家へと走り出した。というのも昔から言い伝えに「大地

震に大津波が来る」と私たちは聞かされていたからだ。

今考えると、地震のときに一番役に立ったのは「大地震に大津波」と、

言い聞かされた事だと思われてならない。もしあの時、大津波のことを知

らなかったら、もっと大きな災害になっていた。」

 (2) 母は、おばあさんから聞いていた

   南勢町 五ヶ所浦 中村幸子(当時16歳)

   「母はおばあさんに聞いた話として、「ここは海が近いから、大きな地震

がきたら必ず津波がくる。おばあさんの時代は、田圃に牛が必要で飼って

いたが、大きな地震のあと津波が来て、大事な牛がもうもうと啼きながら

太平洋の方に流されていったそうな、その姿を見てかわいそうで又怖くな

り、高いところに引っ越したそうだよ。大きな地震があったら、すぐ井戸

を見ると、井戸水が引いていくと聞いている」と折にふれて、よく話をし

てくれた。」

 

2 過去の経験・言い伝え

  過去の経験・言い伝えについても報告書は「津波常襲地域であった三重県

の各地においては、過去の体験者による教訓等の言い伝えも残っている。

体験談を拾っていくと、「地震のあと津波が来るまで、御飯を炊く時間は

十分あるので、御飯は炊いておけ」という言い伝えが当時は広く浸透してい

たため、「こんなはずではなかった」という体験談も見られる。また、「井

戸の水が一度ひいてから上がってくると津波がくる」という教訓も広く浸透

していた。

また、当時は「稲むらの火」が教えられていた時分であった。そのため、

「稲むらの火」を思い出したという体験談も多く見られ、学校教育による防

災への一定の効果を知ることができる。」と述べています。

 

  1. 津波が来るのが早くて恐ろしかった

   尾鷲市矢浜 野田美代(当時23歳)

   「津波が来るのが早くて地震よりも恐ろしかった。自分と子供が必死に逃

げるのに一生懸命だった。津波が来るまでに御飯を炊く時間等ありません

ん。」

  1. 御飯を炊くひまはなし

   尾鷲市天満浦脇浜 松崎ふみ(当時30歳)

   「父はこんな大きな地震のときはあとで津波が恐ろしいので、母に避難す

るときは御飯を一釜炊いておけといって海に気を配っていたが、御飯を炊

くひまなんかなかった。」

 (3) 井戸の水が一度ひいてから上がってくる

南島町神前浦 梅谷みき(当時22歳)

「地震のとき、玄関先にあった井戸ポンプを見てみると、水がジャージ

ャーと流れ出ていた。「井戸の水が一度ひいてから上がってくると津波が

来る」と小さい頃から教えられていたので、「もしかして津波が来るかも

しれない」と思い、妹たちは裏山へ避難させた。しかし、夫の両親はすぐ

に津波が来るとは思っておらず、浜にほしてあったにぼしをしまいに行っ

た。」

 (4) いなむらの火を思い出した

尾鷲市矢浜 相賀泰(当時11歳)

「矢浜国民学校の5年生だった。学校で地震にあったあと家に帰ると、

要蔵屋(野田酒店)の甚太郎おじさんが自宅の屋根に登り「沖があかるい、

津波じゃ」と叫んでいた。その時、4年生の時に教えてもらった「いなむ

らの火」を思い出した。

その後、中学校の桜の木から見ると、押し寄せてくる波で灯台が見えな

くなり、少し時間がたってから今度は十数隻の木材運搬船や漁船が沖へ流

され、又少し時間がすぎると今度は町の方へ押し寄せられてくるのを見

た。」

(出典 「東南海地震津波より45年 地震体験談」 紀勢町 1989

    「いのちありて 東南海地震の思い出」 中村幸子 2003

    「東南海地震体験談集」 尾鷲市立矢浜公民館 2001

    「昭和19年12月7日発生 東南海地震体験談集」 尾鷲市総務課

 1984

    「忘れない!あの日の大津波 東南海地震体験記録」 南島町教育

振興会資料センター部編 2000)

 

建築設備コーナー

私と厠今昔

名古屋市住宅都市局設備課OB     加藤 幸雄

 

 厠・ご不浄・雪隠・便所・トイレ・WC(ワシントンクラブ)・化粧室・お手洗いetc

毎日皆さんお世話になっている仕事に半世紀以上関わることとなりました。

 私は昭和24年、熱田区の高座神社(6月井戸覗き)と旗屋小の近くで生まれ育ちました

昔は非水洗便所で、バキュームカーで各家庭よりし尿を収集し運搬船により名古屋港沖に海洋投棄していました。

 当然のことながら臭いトイレは母屋と離れた場所に在り、ある時3歳年上の姉が悲鳴を上げ飛び出してきました。

 蛇の青大将(1.5m程?)がとぐろを巻いていました(昔は鼠が多く、各家に一匹はいました天井裏で追っかけっこしたり、大掃除の床下に抜け殻がよく落ちていました)。

 その時父親が棒きれで青大将を裏の高座神社の森まで運んでいき、私は怖かったのでやはり父は強いんだと感心した覚えがあります。

 旗屋小学校に就学した時点でも、まだ「ぼっちょんトイレ」で跳ね返り防止の為竹棒が一本クッションとして渡してあったことを覚えています。

 時が過ぎ、就職した先が名古屋市建築局設備課で空調衛生設備担当でした。

当時は学校トイレはV槽式でタンクに水を少量ずつ流し一定量たまるとサイホン作用を利用して定期的にV槽内を洗浄するタイプでした。

 洗浄用水槽容量計算はガロン(3.7ℓ)単位でした、洋画のブリット(スティーブマックウィン主演:「拳銃無宿」「タワーリングインフェルノ」「大脱走」)を鑑賞したときに彼の恋人が建築士で水槽計算をガロンでしており非常に親近感を覚えました。

 公園便所は難しい、汚す・いたずら・盗難・何が流されるかわからない配管詰り対策等色々と思い出があります。

 当初はなんでも流してしまえるようV槽式で掃除用にマンホール取付タイプでした。

後に鶴舞公園には、清掃しやすいよう床全面便器式を採用しましたが落書きに曰く

「こんな恐ろしい便器を設置した奴は誰だ」と、床全体に水が滝のように流れ子供も怖がったみたいで東山公園以降その後採用はされなくなりました。

 近年はやっと洋便器化が主流となり、足の不自由な人や大小兼用・床を汚さない等喜ばれ、我家も自動蓋開閉洗浄便座となり隔世の感有、昔日をしのび感慨にふける日々です。

木祖村コーナー

木祖村だより

編集後記

編集後記

◎ 今年は9月に入っても暑い日が続き、何時になったら季節が変わるのかと思っていましたが、昔から「暑さ寒さも彼岸まで」と言われているように、秋分の日を過ぎるとようやく朝晩の涼しさに秋の気配を感じるようになりました。秋は比較的気候も安定し爽やかな日が続くことから「スポーツの秋」と言われ、全国で各種スポーツの大会が開かれています。名水協でも例年10月に「支部親睦ゴルフ大会」や青年部主催の「スポーツ交流会」を開催し、組合員の皆さまの交流を図ってきましたが、今年は新型コロナウィルス感染症が収束の兆しを見せないことから、両大会とも中止することとなりました。いずれの大会も毎年組合員の皆さま始め関係団体の皆さまにも多数ご参加いただき、名水協の秋のイベントとして定着していたもので、事務局としても非常に残念に思っております。新型コロナウィルスが一日も早く収束し、来年秋には「親睦ゴルフ大会」「スポーツ交流会」が大勢の皆さまにご参加いただき盛大に開催できることを願っています。

◎ 最近、トイレや台所など家庭の水回りの修理を依頼した際、高額な修繕費を請求されるというトラブルが全国的に多発しているようで、テレビや新聞で特集が組まれたりしています。

インターネット検索で上位に表示された業者へ依頼した場合や家庭のポストに投函されたチラシの業者に依頼した場合にトラブルが多く発生しており、いずれも水回りの知識がないことを利用し、不安を煽るように不必要な修繕を行い、見積もりも出さずに終了後高額な修繕費を請求するというもので、中には数十万円の支払いをした方も見えるとの事です。

名古屋地区でも被害が増加しているようで、名水協にも消費生活センターからの問い合わせやNHKからの取材がありました。NHKでは、夕方放映の「まるっと!」で特集が組まれ、理事長が質問に答えている姿をご覧になった方もお見えになると思います。名水協としては、トラブルを避けるためには広告宣伝は安易に信用せず、組合加盟の地元の工事店に依頼するか、上下水道局に相談することをお願いしました。

市民の皆さまがトラブルに遭わずに安心して暮らせるための一助となるよう、引き続きHP等を活用した啓発に努めていきたいと思います。

(T.T)