『飛翔赤富士』第32回フォトコンテスト入賞 撮影:㈱佐藤総合設備 佐藤光明氏

『飛翔赤富士』第32回フォトコンテスト入賞 撮影:㈱佐藤総合設備 佐藤光明氏

名古屋の風景

徳川園

水野 博子 氏 (安井管工業㈱)
水野 博子 氏 (安井管工業㈱)

 徳川園は名古屋市東区徳川町にある日本庭園。元は尾張徳川家の大曽根別邸で、2代藩主光友の時代に隠居所として建造された。光友の死後尾張藩家老の成瀬家、石河家、渡邊家に渡るが明治22年尾張徳川家の手に戻りその邸宅となったが昭和6年第19代当主徳川義親により名古屋市に寄贈された。だが、昭和20年名古屋大空襲に被災してほとんどの建物や樹林などが消失してしまった。戦後、現代的な都市公園として改修し、市民に利用されてきたが平成13年から日本庭園として再整備を行い、平成16年に開園した。

会議コーナー

定 例 理 事 会

理事会風景(広報技能委員会)
理事会風景(広報技能委員会)

理事会風景(資材委員会)
理事会風景(資材委員会)

1.開催日時   11月7日(水)

           午後3時

 

1.開催場所   水 道 会 館

 

1.理事定数   17名

 

1.出席理事   17名

お知らせコーナー

第25回名水協支部親睦ゴルフ大会

団体の部 優 勝(北支部の皆様)
団体の部 優 勝(北支部の皆様)

個人の部 優 勝(神田 太郎 氏)
個人の部 優 勝(神田 太郎 氏)

開催日 10月31日(水)

場 所 日本ラインゴルフ倶楽部

参加者 80名

 

 当組合恒例の第25回名水協支部親睦ゴルフ大会が岐阜県可児市の日本ラインゴルフ倶楽部で開催されました。

 当日は午前は肌寒さも感じられましたが、天候にも恵まれ絶好のゴルフ日和でした。来賓、賛助、各支部から大勢の方々に参加していただき盛大に開催されました。参加総勢80名が午前8時00分、第1組がスタートし競技が行われました。

 プレイ終了後表彰式が行われ、団体の部は北支部が、個人の部は神田太郎氏(日之出水道機器㈱)が優勝されました。

大会に参加された皆様お疲れ様でした。

 

 《成績発表》

 

    団体の部     支 部

  優   勝   北  支部

  準  優  勝     中村 支部

   3   位    港  支部

     

    個人の部     氏 名      所属工事店          支 部

  優   勝   神田 太郎   日之出水道機器㈱               

  準  優  勝    奥田 哲弘   奥田水道設備       中村支部

  3   位     草野 晃司    ジョス税理士法人

                                                         <敬称略>

青年部会コーナー

第152弾定期夜間勉強会

開催日 平成30年10月17

参加人数 30

技能開発部会・青年部会共催

 

株式会社パロマを講師に迎え、「給湯器の構造とエコジョーズの利点」というテーマで講演して頂きました。

給湯器の中にはたくさんの温度センサーや電動弁があり、お客様が快適に使用できるよう温度の調整がとても繊細に行われていることを知りました。水温によってガスの量を変える比例弁で無駄のないガス量に調整したり、設定温度通りにお湯を出すために混ぜる水量をセンサーで制御していました。

最近多く取り扱うようになってきたエコジョーズについても知らない事だらけでした。従来の給湯器ではお湯を沸かす際に出ていた200度程度の排気熱を、そのまま大気に放出していました。エコジョーズではその排気熱を利用して一度水を加熱し、その後従来と同じ熱交換器で加熱するので排気熱が100度以下に下がるそうで、従来の給湯器と比べて、熱効率がとてもよくなりガス代が15%ほど節約できるそうです。CO2の排出量も少なくなり、とても環境にも優しい物だと学びました。

今回の勉強会を終えて、ガス給湯器は精密機械であると再認識し、お客様に提案する際にもとても役に立つ知識を得ることができました。

今後も趣向を凝らした勉強会を開催していきますので、皆様奮ってご参加のほど宜しくお願い申し上げます。

 

 

 

青年部会 名東支部 宮澤祐輔

 

青年部会コーナー

支部対抗スポーツ交流会

穂刈理事長 挨拶
穂刈理事長 挨拶

青年部会 水谷会長 挨拶
青年部会 水谷会長 挨拶

名古屋市上下水道局   林係長 挨拶
名古屋市上下水道局   林係長 挨拶

 

 

1021日(日)中スポーツセンターにて支部対抗スポーツ交流会を開催しました。

日曜にもかかわらず、150名の方々にご参加いただきました。

毎年、支部対抗スポーツ交流会は名古屋市の16区以外に、名古屋市上下水道局、名古屋上下水道総合サービス、愛知県管工事業協同組合連合会、IT推進委員会、親組合理事チームを含む、全20チームの中から優勝を決めます。

どの試合も白熱した内容で大盛り上がり!決勝戦はハイレベルで迫力のある戦いになり、結果優勝チームは昭和支部チームに決定しました。

大きな怪我もなく、無事充実した内容でスポーツ交流会を行うことができ感謝しております。

チームメイトと共に体を動かすことで、組合員又、各支部の話題性と団結力を高め、親交を深めることに少しでも役に立っていれば毎年行っている意味合いを感じます。

今回参加して頂いた皆様、お疲れ様でした。また来年初めて参加される方もご参加お待ちしております。

           

         青年部会 昭和支部 穂刈 紀希

                    優勝 昭和支部チーム

特別寄稿コーナー

QRコードによる応急給水栓設置開設情報の提供について

名古屋市上下水道局 千種営業所

 所長 魚岸 勝則

 

今年の4月に千種区・名東区を管轄する千種営業所へ異動してまいりました。私事で恐縮ですが、営業所のある千種区振甫町のあたりはかつて学生時代に下宿していたところでもあります。その頃通っていた食堂や銭湯はさすがにもうありませんが、最寄駅からの街並みにどこか懐かしさを感じながら通勤しております。

 ところで、今年は大規模な自然災害が多発した1年でした。6月の大阪府北部地震、7月のいわゆる西日本豪雨、9月の北海道胆振東部地震に加え、台風21号・24号は名古屋にも被害をもたらしました。こうした状況もあって、秋の区総合防災訓練や各学区の自主防災訓練などでは、参加される地域の皆さんの表情にも一層の真剣さが感じられました。

 そうした中、地下式給水栓の開設方法について地域の皆さんに説明するため、ある学区の自主防災訓練にお邪魔しました。その学区では、地域の皆さんが食料班や情報班など各班に分かれて実践的な訓練を行っておられたのがたいへん印象的でした。特に小学校とその近くにある県立高校の二つの避難所の間で、無線でお互いの状況について情報伝達を行う訓練などは実際に大規模災害が起こった場合を彷彿とさせるものでした。ただ周辺の電波状況のせいでしょうか、無線でのやりとりに若干苦労されている場面もありました。

 そういえば大阪でも北海道でも、被災者の方からは地震の後の避難やその後の避難所生活に関する情報を得るのが難しいという声が寄せられたそうです。災害時、特に発災直後は自らの“命を守る”ことが最優先ですが、被災者の方がその後の避難行動や避難所生活を始めるにはさまざまな情報が必要になってきますし、行政としても速やかに情報提供を行うことが求められます。そこで当局でも災害時の応急給水に関する情報提供の一環として、市内377か所の地下式給水栓にQRコードを設置し、地域の皆さんにこのQRコードをスマホ等で読み取っていただくことで、直ちにホームページ上で地下式給水栓の開設情報を提供するシステムを立ち上げ、この9月から運用を開始しました。

 ご存知のとおり、工事店組合の皆さんに設置をお願いしている応急給水施設に関しましては、4月から先行する形で、QRコードによる開設情報の提供についても併せてご協力をお願いしているところでございます。具体的なスマホ等での読み取り操作については十分に浸透しているとは言えないかもしれませんが、組合員の皆さんにはこれからも様々な機会を捉えてご説明してまいりたいと考えております。今後とも、当局の防災に関する取組みの“パートナー”として、格別のご協力をいただきますようお願いいたします。

 

 

QRコードの設置状況

筆の泉コーナー

小笠原漫遊記

名古屋市上下水道局 北営業所

主事 太田 悟志

 

昔、父とタイタニックを見て豪華客船に憧れを抱いたことなどから、今回「おがさわら丸」に乗船し、おがさわら諸島へ旅しました。余談ですが、私は旅行中、耳の治療中でした。先生と相談の上、許可を得ることができたため、決行しました。

 

おがさわら丸

小笠原海運有限会社が所有している船で、世界に一隻しかありません。乗船客の年齢層はさまざま。赤ちゃんから年配の方、外国人。驚いたのは、犬まで。それだけ、設備が整い、快適に過ごせました。中には高級そうなカメラを持っている人も。どんな大自然が待っているのだろうと、心が弾みました。東京から約24時間の航海。この船が唯一の交通手段となっています。

 

出港は東京竹芝桟橋。港から約1,000㎞南に諸島はあります。私は、焦らないように前日から休暇をいただきました。13時にホテルへ着き、荷物を預け浅草へ。浅草寺の御朱印を貰うことができました。翌日船に乗り込み一安心。夕食を済ませ耳鼻科で処方された薬を飲んでいると、お酒を飲んで航海を楽しんでいるお爺さんが声をかけてくれました。知らない人と話をしたり、本を読んだり、広大な海を眺めたりと、意外と時間は早く過ぎていきました。島につき、まず感じたのは「暑い」こと。10月でも最高気温は30度越え。宿のプラカードを持ったお迎えの方々が並んでいました。探し当てるだけでも汗だくになりました。この日は半日バスツアー。名物島寿司を食べ、島の展望台を回りました。空気が美味しく、一面に広がる絶景に酔いしれました。次の日は、シュノーケルや野生のイルカと一緒に泳ぎ、さらに島自体が天然記念物の南島に上陸することができました。泳げなかったですが青い海、船からでも覗くことのできる魚に感動しました。夜も最高です。空いっぱいの星、光るキノコ。神秘的な夜がそこにはありました。諸島は一度も大陸と繋がったことのない海洋島。独自の進化を遂げた固有の生き物やそれらが生み出す生態系がそこにはあります。

3日間お世話になった民宿は夫婦で営んでおり、街から5㎞離れている静かな宿。身体のメンテナンスには、とても良いところでした。料理が美味しく、お米もいつもの3倍食べました。

ツアーで知り合った中学生と仲良くなり、帰りの船で写真も撮りました。私はこの旅行で後悔があるとすれば一つ。民宿でお世話になった夫婦へ感謝の気持ちは伝えたものの、一緒に写真を撮らなかったこと。

出会いは一期一会。感謝の気持ちを持ち、後悔のないように生きていきたいものです。

談話室コーナー

終活ブーム

東支部・丸水設備 株式会社 

小木 真弓美

 

「こんなユニークなお墓が登場しました」

「棺に入る経験ができます」

「遺骨を海に撒く人が増えています」

雑誌やテレビの「終活特集」をみるたびに、「もの珍しいことを表面的に取り上げてるだけだなあ。これをみて終活しようっていう人はいないんじゃないか?」と私ひとり毒づいていました。

ある日書店でちょっと面白い本を発見しました。私のようなへそ曲がりな人がいるようで『終活なんておやめなさい』という本がとても売れていました。

人の死に関わることなのにどこか軽々しく扱う風潮に対して拒否感を抱く人が多いかもしれません。

終活についてまだ具体的なことを考えてないときに、ある終活セミナーで面白いお話を聞く機会がありました。

「そもそも、どうして終活が必要なのか」

「お葬式やお墓のことを自分一人で決めてしまっていいのか」

「大切なのは、終活を通して家族との絆を深めること」

終活セミナーというと、終活することが前提となっており、葬式やお墓の値段、葬式のしきたりといったことばかりを説明するものだという先入観をもっていた私にとって、目からウロコでした。

また、そもそも終活というのはとても広い概念であり、「終活だからこうしなければいけない」「お勉強のように取り組まないといけない」ということはなく、あくまでも自分の家族の関係性を振り返る手段の一つに過ぎないのだと気づかされました。

ある女性で面白いことを言っていた方がいました。死んだときのパンツが気になると。みっともないパンツでは死ねないと。みんな恥ずかしい部分は隠して死にたいっていうことでしょうか?後悔を残さないように毎日を一生懸命生きていたらそんなことどうでもいいはずなんですけどね。死ぬときに人生に納得していること、それが終活なんじゃないかと私は思います。そのために今どう生きるか、どう具体的に行動していくか、それが重要なのでは。

終活って元々は葬儀のプロデュースから生まれた言葉で葬儀の形もいろいろで、お金の問題とかではなくて、自分の好きなお花ばっかりに囲まれるとか、好きな音楽だけをひたすら流すとか、いろんな形があります。遺品整理とか、相続とか、生き方まで広い意味で、生きていることそのものが終活であり、死を意識することが終活の第一歩であり、また高齢者になり大病する方がいますが、自分が倒れた時のパートナーの献身的看護に感動して、その大切さに気付かされた夫婦の結びつきが強くなるというケースもあります。それも死を意識する終活の第一歩でもあります。

「終活」とは何かと知ったら、今生きる活力が湧いてきます。

 

消防コーナー

地震に備える31

名古屋市消防局OB 近藤 博

 

昭和19(1944)東南海地震(3)

 

 

 

3 震域

  震域(地震の際、一定の震度を感ずる地域―広辞苑)については「西は九州から東は関東地方までと、東北地方の一部分および北海道の一部分と広範囲にわたって人体に感じ、紀伊半島東部・伊勢湾周辺・熊野灘沿岸で特に震動が激しかった。」と記しています。

(出典 「愛知県災害誌」 昭和453 P489

 被害の範囲及態様については次のように記しています。

「東南海地震による被害は、愛知県、三重県、静岡県、和歌山県、岐阜県、大阪府、奈良県、滋賀県、山梨県、石川県、福井県、兵庫県、長野県の13県に広がっている。また、被害の発生の仕方も、地震動による直接的な家屋倒壊とそれによる圧死という震災の基本的被害に加え、津波によるものや、震源域から離れた軟弱地盤に集中した被害など、様々な形態をとっている。」

(出典 中央防災会議「災害教訓の継承に関する専門調査会」報告書1944

東南海地震・1945三河地震 平成193月)

 

4 震度分布

  次に、東南海地震の震度分布をみてみると、震度5弱相当以上となった地域は、近畿地方の一部及び三重県、愛知県、静岡県を含む紀伊半島東部から静岡県御前崎までの沿岸であり、震度6弱相当になったのは、三重県から静岡県御前崎町までの沿岸地域の一部となっています。

(出典 中央防災会議「災害教訓の継承に関する専門調査会」報告書1944

南海地震・1945三河地震 平成193月)

 

  下記報告書では、各地の地震被害をもとに震度の定義に従い、震度分布について次のように述べています。

  「震度分布図をみると、局地的にせよある範囲にわたって震度7の分布がみられる。

 殊に静岡県の遠州灘沿岸は震度が6であり、駿河湾奥付近にも震度6がみられている。震度7は静岡県袋井市周辺と小笠町周辺に分布している。愛知県では西尾市の一部に震度7がみられる。町村単位でなく町村を構成する部落別にすればさらに震度7を示すところが多くなる。

静岡県においては()89箇所の部落があげられる。愛知県では部落単位では名古屋市南部で10箇所、その他の郡市部で10箇所くらいである。

 三重県では地震動によるよりはむしろ津波による被害が大きかったので震度はそれほど大きくはない。県の伊勢湾沿岸に震度6の地域が見られるが震度7はない。大部分のところは震度5である。

 岐阜県においては木曽三川下流部に震度5~6がみられるが、場所によって6のところもある。

 大阪においても震度5~6に達したところもあり、奈良盆地でも同様に震度が5~6に達している。また、石川県小松付近でも震度5~6に達している。」

(出典 「昭和19127日東南海地震の震害と震度分布」愛知県防災会

議 飯田汲事著 昭和523月 P80

法律コーナー

懲戒権行使の限界

弁護士   松 永 辰 男

 

学校教育法第11条には、「校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、児童、生徒及び学生に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。」と定めており、文部科学省からは具体的事例に即した判断材料が提供されています。そこで具体的な事例についての判断については裁判における判断が参考になりますところ、小学校教諭が児童を叱責した行為が懲戒権行使として違法となるかどうかについての裁判があり、裁判所は違法ではないと判決しました(平成29年10月23日さいたま地方裁判所判決・判例時報2380号87頁)。

事案としては8例あるのですが、そのうちの主だった2例を取り上げて説明しますと、小学3年生を担当する教諭が、①児童Xの給食後の食器汚れのチェックに際し、児童Xに対しやり直しが必要と考えて児童Xの背中に触れた行為、②児童Xが定められた通学路を通って帰宅したかどうかについて1時間以上にわたって問いただした行為でした。そこで判決は、「そして、教諭の行為が懲戒権の行使として相当と認められる範囲内のものかどうか、あるいは体罰に該当するかどうかは、児童の年齢、性別、性格、生育過程、身体的状況、非行等の内容、懲戒の趣旨、教育的効果、身体的・精神的被害の大小、効果等を総合して、個別具体的に判断すべきである。」とし、これを前提にした場合、①の件については児童Xに対し、やり直しが必要であると考えて児童Xの背中に触れたけれども、「もっときれいにして」と言って強くたたいたと認める証拠はなく、身体的被害も全くなく、懲戒権の行使として相当なものであったと認められると認定しました。②の件については、誘拐事件の発生などの被害を予防するために通学路を決めて集団下校するよう指導していたところ、ある児童から、児童Xが通学路でない道を通って下校したとの話を聞き、他の児童にも聞き取り調査をしたところ同様の話をしたので、授業時間中に児童Xに真偽を確認し、それに相当の時間を要したことで児童Xに精神的負担を与えた点は配慮に欠けるけれども、児童Xと他の児童との言い分が真っ向から対立する事案であり、他の児童が、自分たちの言い分を認めてもらえないことに対する不満を述べていたことからすれば、事実確認に時間がかかったことが不相当とまではいえないとし、懲戒権の行使として相当なものであったというべきであると認定しました。懲戒権の行使はあくまでも児童の健全育成のためにあることが前提であり、適正に行われるべきであるが、その限界についての判断には困難を要するものであることを考えさせられます。

 

木祖村コーナー

やぶはら高原スキー場OPENします!!

編集後記

編集後記

月日の経つのは早いもので、今年も残すところ1か月となりました。

年々1年が過ぎるのが早く感じるようになってくるとともに、記憶に残るような事柄が減ってきているように感じています。

年齢を重ねるほど時間が早く経つように感じるのには、れっきとした心理現象が関わっており、それは「ジャネーの法則」と言われるものだそうです。

ジャネーの法則とは、フランスの哲学者ポール・ジャネが発案した理論で、主観的に記憶される年月の長さは年少者にはより長く、年長者にはより短く評価されるという現象を心理学的に説明したものです。

50歳の人にとっての1年は人生の50分の1ですが、5歳の子供にとっては5分の1になるわけですから、年をとればとるほど1年の相対的長さが短くなるというものです。50歳でも5歳でも1年の時間は同じなのですが、体感上は短く感じてしまうものだそうです。

体感上短く感じるのは、年齢とともに経験の積み重ねにより、様々な情報が脳に蓄積されて記憶されるのに時間がかからなくなることが原因といわれています。例えば、同じ場所に行く場合、毎回かかる時間は一緒でも、初めての時より2回目、2回目より3回目のほうが短く感じることがありますが、何度も同じ道を通ることにより、一部の情報が無意識的のうちに処理されるため体感時間が短くなると言うことです。

私自身、今年1年を振り返ってみると、平日は同じ時間・ルートでの通勤、休日は変化の少ない過ごし方をするなど、同じことの繰り返しのような生活を送っていたことが1年過ぎるのが早く感じた原因であったとわかったような気がします。

ジャネーの法則では、「時間の過ぎるスピードが速く感じる」のは年齢を重ねるほど新しい刺激が減り、毎日が単調になることで体感時間が短くなることが根拠としているので、年をとっても常に新たな事に挑戦したり、新しい刺激を取り入れるようにすれば、体感時間も長く感じる事ができるのではないでしょうか。これからは、少しでも体感時間を長く感じられるような毎日を送っていけるように心がけていきたいと思っています。

 

                                   (T.T)