『水鏡』第32回フォトコンテスト入賞 撮影:安井水道工業所 安井 直孝氏

『水鏡』第32回フォトコンテスト入賞 撮影:安井水道工業所 安井 直孝氏

名古屋の風景

名港トリトン

水野 博子 氏 (安井管工業㈱)
水野 博子 氏 (安井管工業㈱)

 名港トリトンとは伊勢湾岸自動車道のうち、東海ICから飛島ICの間にある。3つの斜張橋(名港西大橋、名港中央大橋、名港東大橋)の愛称である。

 名古屋港の特色はこうした貿易港としての機能のみならず、港と中部圏の各工事間の道路ネットワークが完備されている点にある。信号待機による渋滞の心配

が無用な高速道路の輸送はマイカー利用のみならず、こうした国内産業を支える

物流ルートとしての重要な側面がある。なお、港の中を高規格幹線道路が貫いて

いるのは日本国内では名古屋港のみとされ、日本の中央部に位置するロケーションと共に交通インフラの優位性をいかんなく発揮している。

会議コーナー

定 例 理 事 会

理事会風景(三役)
理事会風景(三役)

理事会風景(業務管理委員会)
理事会風景(業務管理委員会)

1.開催日時   8月1日(水)

           午後3時

 

1.開催場所   水 道 会 館

 

1.理事定数   17名

 

1.出席理事   15名

青年部会コーナー

第149弾定期夜間勉強会

開催日 平成30718

参加人数 19

技能開発部会・青年部会共催

 

今回の定期夜間勉強会は、日立金属株式会社を講師にお招きして、「ステンレス製フレキシブル継手 ソフレックスAQ」について勉強会を行いました。

ソフレックスAQは、集合住宅・ホテルおよび事務ビルなどの給水・給湯・冷温水・冷却水配管用に開発したフレキ管・継手で、狭くて複雑なパイプシャフト内の接続やファンコイルユニット周りの配管などに適した配管です。また、管材料にステンレス鋼(SUS316L)を使用しているため優れた耐腐食性を持ち備えております。

当日は、施工実演を行う前に、「異種金属接触における絶縁継手の必要性」と題して、異種金属腐食の分類、原理の説明、水栓と黄銅継手の腐食の実例紹介、異種金属の電位差から継手の寿命を計算する方法、公共建築工事標準仕様書を参考に継手内面の絶縁コーティングの説明、有効性などを講義して頂き金属腐食について理解を深めたうえで、ステンレスフレキ管の施工実演を行いました。

ステンレスフレキ管「ソフレックスAQ」を初めて見た方もいらっしゃったみたいでしたが、みなさま工具の取り扱いは手慣れたもので、管・被覆材の切断、継手の接続もスムーズに行えた様子でした。また、継手本体にゆるみ防止機構を設ける工夫があり、大変信頼性の高い継手で、従来のフレキ管のイメージが変わりました。

今後もこのような実演を交えた勉強会を開いていけたらなと思っていますので、ご参加お待ちしております。

 

青年部会 北支部

小暮 貴士

 

 

青年部会コーナー

土曜学習プログラム

77日に平成30年度土曜学習プログラムの第一回が、天白区野並小学校にて行われました。参加した子供の数は過去最多となる65名でした。

事前に大まかな人数を把握していたため、対策として当日参加する役員の確保と配管工作に必要なコンパネ等資材の追加製作と備品の段取りを行い当日に備えました。

当日は台風の接近に伴い悪天候による中止も心配されましたが無事に開催することができ、子供達も元気に会場へと集まってくれました。

土曜学習プログラムを運営する団体の方々から子供達への説明が終わると、子供達は各班89名ずつ計8班に分かれて活動を開始しました。

前半は株式会社LIXILによる、水の学校というクイズ形式を取り入れた紙芝居が行われ楽しそうに聞き入る子供たちの姿が印象的でした。

それが終わるといったん休憩をはさみ後半の配管工作へと移りました。

各班毎に担当した役員が説明を行い作業に入っていきましたが、やはり子供の数が今までの土曜学習プログラムよりも多かったこともあり大変でした。

しかしボランティアの方々にも協力していただけたことや、役員達の頑張りによりケガやトラブルもなく無事終了することができ安心しました。

その中で課題として感じたことがありました。まず各班の人数が多かったことに加え学年が1年生から6年生までと幅広かったため、それぞれの班ごとで進捗スピードに差が出てしまったこと。また待ちの時間が多くなってしまったことにより、時間を持て余してしまう子供が動き回ってしまうケースがあったことです。安全第一での運営に心がけたこともあり低学年への配慮に気がいってしまった為、高学年の子供ほどそうなってしまう傾向があり対策が必要だと感じました。

今回学んだことを生かしてより良い土曜学習プログラムにできるよう次回の開催に向け準備をしていきたいと思っております。

青年部会 瑞穂支部   美野太陽

 

特別寄稿コーナー

災害への意識

名古屋市上下水道局 北営業所(西サービスステーション)

副所長 井上 明和

 

 今年度4月から上下水道局北営業所(西サービスステーション)の副所長を務めています井上でございます。

 営業所に勤務するのは10年ぶりで、営業所を取り巻く環境の変化についていくのが精一杯という状況ですが、とりわけ私が感じるのは、職員はもちろん市民の方々の災害に対する意識の高さです。災害に備えて、名古屋市指定水道工事店協同組合並びに組合員の皆さまには、各区の水防訓練、防災訓練を始め各区学区の自主防災訓練等においてもご協力をお願いし、災害時の給水などにおいて重要な役割を担っていただき、本当に心強く感じております。改めてお礼申し上げます。

 さて、私が本市に入庁してから早30年が経ちましたが、この間、阪神淡路大震災、東海豪雨、東日本大震災などの大きな災害のみならず、地域的な地震や豪雨はあちらこちらで発生してきました。今年6月に大阪で起きた大きな地震、7月に発生した全国規模の豪雨は記憶に新しいところです。「天災は忘れた頃にやってくる」と言いますが、忘れる間もなく災害が発生しているのが日本の近年の状況ではないでしょうか。南海トラフ巨大地震も近い将来に起こると言われている中で、当局としても様々な災害対策事業を実施していますが、いざ災害が発生したときにいかに迅速に行動できるか、いかにライフラインである上下水道を閉ざすことなく守れるか、我々に求められているものの大きさを考えると身の引き締まる思いがします。

 私は、名古屋市応急復旧隊の一員として、阪神淡路大震災における災害復旧業務に従事した経験があります。未曾有の大災害で、現地入りしたときは目の前の惨事に言葉を失いましたが、とにかく自分にできることをやろうという気持ちで必死でした。そのような状況の中で、復旧隊の職員と協力していただいた業者さんの懸命の努力により、現地で水道が復旧して当地の方々からお礼をいただいたとき、本当によかったと思うとともに水道がいかに毎日の人々の暮らしを支えているかを実感しました。

 今後、どんな災害が起きようとも、我々は上下水道を守らなければなりません。そのためには、当局と貴組合及び組合員の皆さまとの連携がなにより重要になってくると思います。これまで以上に強固な信頼関係を築き連携を強化することが、上下水道を守り、ひいては市民の方々の暮らしを守ることに繋がります。そして、そのために我々に求められていることは、結局のところ日々精進し努力を積み重ねることだとも感じます。

 歴史ある名古屋の上下水道を守るため、引き続きご支援・ご協力を賜りますよう、よろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

筆の泉コーナー

そうだ東京へ行こう

名古屋市上下水道局 営業部 料金課

主事 大岩 嵩侑

 

拝啓、みなさまどうお過ごしでしょうか?今年は数十年に一度の酷暑に見舞われ、大変過ごしにくい日々を送られているのではないでしょうか?私も本庁に移動して3ヵ月が経ちますが、未熟さとこの暑さが重なり体力が追い付いていません。しかしながら、我々は業務の対価として給料を得ていますので、暑くても寒くても与えられた業務をしっかりとこなさなければなりません。人生の多くの時間を労働に費やさなければならない我々には、効率よく充実した毎日を過ごすために気分転換が必要です。みなさんはどのような気分転換の方法を取られているでしょうか?

 私は、日常においては短期的な楽しみを目標にして、達成までの時間帯を頑張る、その週を乗り切るなどモチベーションを高める努力に取り組んでいます。ですが、モチベーションを上げるだけでは続かないため、非日常を求めます。

 そんな時私は、「そうだ東京へ行こう」と思います。学生時代を過ごした街であり、友人がいる東京が名古屋以外では私の落ち着く雰囲気を持っています。別に東京でなくてもいいのです。自分の友人がいて、どこかに出かけることができて、毎回同じ話題で盛り上がることができれば・・・。

 少し話の内容が変わりますが、そんな旅先でも当局に入局してから水に関することが気になるようになりました。各都市ごとに絵柄の異なるマンホール、宿泊するホテルの水道メータ、この水がどこの水源からきているかについてなどです。普段、仕事をしていると感じないのですが、非日常の中で仕事のことがよぎる時、私は逆に上下水道局で働いていることを実感します。旅先で仕事を思い出すことは、気分転換にならないのではないかと自分でも考えましたが、この距離感は私にとって程よい距離感で仕事を捉えることができ、普段の自分を振り返ることや水道のことをもっと知りたいと考える新たな探究心を生み出す力となりました。

 前回東京に行った時、そんなことが頭をよぎったため、お台場にある「東京都水の科学館」に行ってきました。一般向けに水が自宅に届くまでの仕組みを詳しく説明する科学館でしたが、他都市の取り組みを見ることで、まだ知識の定着していなかったことを再確認することができました。

 自分の思いのままに動いたこの行動から気分転換もさることながら、仕事との距離感を自分で取ることの大切さを意識するようになりました。普段、負担に感じるような業務も、自分自身が程よい距離感を持って接することで、見えてなかったものが見えてきたり、新鮮な気持ちで取り組むことができることがあるのだと知ることができました。みなさまも仕事と接する程よい距離感を考えてみてはいかがでしょうか。          敬具

 

談話室コーナー

どうしてお月見をするの?

名東支部 C・M

 

 子供が生まれました。これから子供にはたくさんの良し悪しを教えていかなければならないと思うと、私なんかが上手く教えていけるのだろうか、大丈夫なのだろうかと不安に思います。しかし、教えなければならないのは良し悪しだけではありません。大人には「当たり前」になってしまった、なんで?どうして?が出てくるのです。

 

 9月といえば、というと十五夜のお月見です。ではどうして十五夜にお月見をするのでしょうか。皆さんならどうやって子供に説明しますか?お月様がきれいだから?それも正解です。平安時代の貴族は船の上で管弦や詩歌と一緒に水面や盃に映った月を楽しんでいたそうです。

 

それともう一つ。欠けることのないまんまるなお月様を豊穣の象徴として、これから来る収穫の秋に感謝を伝える意味もあるのです。思い浮かぶのは、月見団子やススキですね。他には芋や豆などをお供えしていました。ススキは収穫前の稲穂に見立てていたり、神様の依り代といて宿り場になると信じられていたり、ススキの鋭い切口は魔除けになるものだとも考えられてきました。なので、お月見のお供え物には一つひとつに意味があり、次に来る豊作への感謝の意味、そして翌年の豊作を願う意味が込められていたようです。

 

ちなみに十五夜は中秋の名月とも呼ばれ、秋の真ん中に出る月、という意味があります。ここでいう秋の真ん中とは、旧暦のことでした。旧暦では789月が秋なので、その真ん中、8月のさらに真ん中15日が中秋の名月でした。現在では9月7日から10月8日の間で満月が出る日を十五夜としています。

 

今年の十五夜は9月24日です。平安貴族のように夫婦で月を嗜むの良し、好奇心旺盛な子供に「お月様にありがとうっていう日なんだよ」と教えながら楽しむのも良し。子供が生まれた今、せっかくの機会なので、こうやって改めていろんなことを子供と一緒に学んで教え教えられが出来るようになっていければいいなと思いました。

 

消防コーナー

地震に備える28

名古屋市消防局OB 近藤 博

 

明治24(1891)濃尾地震(24

 

今回は、引き続き「中央防災会議「災害教訓の継承に関する専門調査会」報

告書1891濃尾地震 平成183月」第4章「おわりに~濃尾地震の教訓~」から何点かを紹介し、濃尾地震の項を終わりたいと思います。

 

○ 近代日本社会が体験した最初の大地震

1 近代都市が体験した最初の地震

  明治24年(1891年)の段階では、文明開化の象徴であった建築物の近代化

とは、煉瓦造建築物のことであり、その中心は官公署、学校病院、工場等で

した。

  濃尾地震では、伝統的な土蔵造りの建物が他の建物に較べて比較的倒壊の

被害が少なかったのに対して、近代化の象徴であった煉瓦造の建物は倒壊こ

そ少なかったもののその破損状況が目立ちました。そのため、煉瓦造建物は

地震に弱いのではないかとの疑念が生まれ、後の耐震建築への関心につなが

っていくことになりました。

  また、既に道路拡幅等の市区の改正が行われた所は、避難に効果があった

として、新たな都市計画・都市政策発展への契機ともなりました。

 

2 近代的マス・メディアが普及してから最初の地震

  濃尾地震は、近代的マス・メディアが普及してから最初の地震でした。

地元では被害状況は翌日には報道され、東京等の新聞でも当初は電報で、

翌日には特派員を派遣してかなり詳細な報道を行っています。報道内容にお

いても、絵が多用される中、写真によってより正確な状況を記録しようとい

う動きが始まりました。

  また、新聞等は、全国に救援金を呼びかけ、皇室の下賜金や人々の「義挙」

を称揚する一方、一部商人の暴利行為などを批判することによって、全国的

な共通の「心性」を形成することになりました。

これは、災害時の新聞等メディアの影響力の大きさと、そのあり方が提起

されたということでは画期的なことでした。

 

3 近代行政システムが体験した最初の地震

  岐阜県、愛知県とも地震直後から活動を始めており、職員を各地に派遣し

情報収集にあたらせるとともに、被害状況を電信や郵便で東京に報告してい

ます。これを受けて、臨時閣議の開催、御下賜金の伝達と侍従の派遣、内閣

総理大臣の視察など政府の初動対応は比較的短期日のうちに行われました。

しかし現地各市町村では、臨時救難所を設置して炊出し等を行いましたが、

それ以外では、資材不足、人員確保の難しさ・情報伝達・連絡網の未整備・

不十分等により救援活動・復旧活動は困難なものになっていました。

 救援活動では、警察・憲兵隊をはじめ名古屋駐屯の第三師団の機敏な対応

が特筆され、以後軍隊が災害出動を行う契機となりました。

財政的には、備荒儲蓄金(びこうちょちくきん、凶年・災害に対処するた

めに設けた窮民救済金―歴史民俗用語辞典)による炊出し等災害救助活動に

始まって、国庫補助による復興土木事業へ移っていくことになります。

 震災復興費についても、政府と民党が対立し、岐阜県においては1124

日群集と警察との衝突が起こり、明治25年(1892年)から明治26年(1893

年)にかけて岐阜県西部での農民運動、県議会での知事追及・知事罷免とい

う政治的混乱が起こり、復興事業を一層遅らせることになりました。

 緒についたばかりの、近代的行政システムは未だ地震=災害という問題を

消化できる程、成熟はしていなかったことになります。

 

4 地域社会及び民間団体による救援活動

  救援活動等について報告書では「行政側によるそれよりも、多くは隣・近

所などの地域社会の人々による相互扶助的活動が大きな役割を果たしたと推

測されることである。特に、農村部ではその傾向が強かったと想像されるが、

当時はまだ、この地域社会による救援・復旧活動を行政側が組織的・計画的

に位置づけた救援・復旧活動を展開させるには至っていなかったのであっ

た。」と述べています。

 旧体制から、表面的には明治という近代的な行政システムに切り替わって

はいましたが、まだまだ非常災害に対処できるまでの行政体制になってはい

なかったということになります。

 一方で、国内はもとより国外からも救援に駆けつける個人や団体があり、

或いは支援金が送られてくる等、近代以降の特徴としての災害救援活動も見

られました。

 

○ 濃尾地震のインパクト

1 震災予防調査会の設立

  震災予防調査会の設置(明治256月)は、政府が地震に関する科学的な

調査研究機関を設置したと言う意味で、画期的なことでした。これが後の国

を挙げての地震原因の究明や耐震建築つながっていくことになりました。

 

2 建築建造物への影響

  濃尾地震は、文明開化の象徴たる煉瓦造建築物に甚大な被害を与えました。

 その結果、地震後から耐震建築への模索が始まり、震災予防調査会は、煉瓦

造及び木造建築の耐震化を提案し、その後、関心は鉄筋コンクリート建築の

耐震化へと移っていきましたが、建築物の耐震化の流れは今日まで連綿と続

いていくことになりました。

 

○ まとめ

  報告書は、以下の文を本調査報告書の結びとしています。

  「濃尾地震は、近世から近代への過渡期にあって、復旧のための資材、人

員等の不足に悩ませられながらも、マスメディアによる情報伝達、近代行政

システムによる迅速な救援、地震原因の科学的研究、減災のための耐震建築

の研究など、今日の地震対策の原型をつくり、その発展の方向を決定するこ

ととなった。

現在においても地震はなお避けがたい災害ではあるが、今後とも減災のた

めの努力を続けなければならない。」

 

法律コーナー

公正証書遺言が無効になった事例

弁護士   松 永 辰 男

 

公正証書による遺言が無効と判断された判決があります(東京地方裁判所平成29年6月6日判決・判例時報2370号68頁)。平成16年6月16日に公正証書により遺言書を作成したのですが、その後の平成23年6月に、前にした上記の公正証書遺言を撤回し、新たな遺言書を作成しました。この新しい遺言に不満を抱いた遺言者の長男が遺言者の次女を被告にして遺言無効の裁判を起こしたのです。裁判所は新しい遺言の時には、最初の遺言の時と違って、遺言者の意思能力が減退し、遺言の能力がないと判断したのです。その経緯についてですが、遺言者は平成13年にウエルニッケ脳症を発症し、その後平成16年6月までは長谷川式簡易知能評価スケールで20点以上を保っていたが、平成18年頃より物忘れが目立つようになり、同年11月14日以降は16点ないし18点で推移していたこと、遺言者は遅くとも平成19年5月までにアルツハイマー型認知症であると診断され、同年1月にはアリセット錠が処方されていたこと、遺言者は平成20年10月、妻が脳梗塞を発症して入院し、その後は有料老人ホームに入所することになり、独居生活となったため、被告である次女は遺言者のために要介護認定・要支援認定を申請していること、主治医の意見書では、認知症の中核症状として短期記憶に問題があることや、自分の居場所が分からなくなることが指摘されていること、平成23年3月、次女同席の下で要介護認定・要支援認定の調査が行われたが、遺言者は配膳された通常食を自力で食べたが、食べたすぐ後に「ご飯は?」と次女に聞くこと、一人だとヘルパーが来る日に散歩に出かけて不在になることが月2回程あること、遺言者は品物を見せて三分後に聞いても忘れて答えられないこと、散歩も決まった場所でないとできない、などといった状態であり、遺言をした当時としてはアルツハイマー型認知症により、その中核症状として、短期記憶障害が相当程度進んでおり、自分が話した内容や人が話した内容など、新たな情報を理解して記憶に留めておくことが困難になっていたほか、季節の理解やこれに応じた適切な服装の選択をすることができず、徘徊行動及び感情の混乱も見られるようになっていたことから、認知症の症状は少なくとも初期から中期程度には進行しており、自分の遺言内容自体も理解及び記憶できる状態ではなかった蓋然性が高く、遺言能力がなかったと認定し、遺言は無効と認定しました。気を付けなければならないことだと思いますが。                        

木祖村コーナー

第32回全国日曜画家中部日本展の作品展を開催します

第31回長野県知事賞『碧のとき』
第31回長野県知事賞『碧のとき』

先月出品を募集しておりました、第32回全国日曜画家中部日本展の作品展を開催いたします。皆様のご来場をお待ちしております。

 

 

会 期 10月6日()~ 10月14日(

 開館:午前9時~午後5時 (14日()は午後4時まで)

会 場 木祖村社会体育館 長野県木曽郡木祖村大字薮原1191-1

   中部日本展の他に木曽郡内の芸術愛好家「木曽美術会」様の作品展も同時に開催いたします。

 

主 催 やぶはら高原イベント実行委員会

後 援 長野県/東海テレビ放送/中日新聞社/信濃毎日新聞社/市民タイムス/

     全国日曜画家連盟/全日本画材協議会/木祖村教育委員会

協 賛 日本画材工業会/ホルベイン工業()・ホルベイン画材(株)/松田油絵具()

木曽土建工業()/日野製薬()()湯川酒造店/伊勢屋木工所/

ふれいむ青山/()スミ設備/()ふうりのさと/()立野画材店/

那須野画材工業()/JA木曽 木祖支所/マルオカ工業()

協 力 木曽美術会/木祖村絵画クラブ

 

作品展に合わせて、下記の企画を開催いたします。合わせて皆様のご来場をお待ちしております。

・ギャラリートーク

 審査員の先生方によるギャラリートークを開催します。

 日時 10月6日() 午後1時~

 会場 木祖村社会体育館

 

・表彰式

 日時 10月6日() 午後2時~

 会場 木祖村社会体育館 2階「源倫館」

 

お問い合わせ

やぶはら高原イベント実行委員会事務局

(木祖村役場商工観光課内)

399-6201 長野県木曽郡木祖村薮原1191-1  TEL 0264-36-2766  FAX 0264-36-3344

-Mail yabuhara-event@kisomura.com

編集後記

編集後記

今年の夏の暑さは記録づくめであった。

 7月9日に東海地方が梅雨明けすると、徐々に気温が上昇し、名古屋では14日に猛暑日を記録すると26日まで13日間連続の猛暑日となった。全国各地でも猛暑となり、埼玉県熊谷市では、41.1℃と日本での最高気温を更新した。7月下旬には、過去に例のない東から西への進路をとった台風12号の影響で一時暑さは和らいだかに思えたが、8月に入るとまた、連日の猛暑となり、8月3日には名古屋で観測史上最高の40.3℃を記録した。 雨が降らないこともあり、夜になってもヒートアイランド現象で気温が下がらず熱帯夜が続き、エアコンのお世話になる日が続いた。最近のエアコンはスイッチを入れると「毎日暑いですね」とか「今日も暑いですね」と会話機能がついたものがあり、外出するときスイッチを切ると、「今月の電気代が〇〇円を超えました」と言われるときはドキリとしてしまう。暑さとともに電気代はウナギのぼりであるが、酷暑の中、夏バテ防止のため土用の丑に食したい鰻は近年の稚魚の不漁から価格がウナギのぼりのため、なかなか口にはいらないのは寂しい限りである。

今夏の猛暑は地球規模のようで、お隣の韓国ではあまりの暑さに熱中症予防のため警察官に日傘を配布したり、スイスのチューリッヒでは警察犬の足を灼熱のアスファルトから守るため靴を履かせたりなどユニークな猛暑対策をしている国もあったようだ。

猛暑が続く中、お盆を迎えたが、皆さんは「お盆玉」をご存じでしょうか。

山梨県の紙製品等の製造販売会社が、お盆の時期に帰省した孫や子供にあげるお小遣いをヒントに、需要が減る夏場対策として2010年に夏の風物詩をデザインしたぽち袋に「お盆玉」と印刷して発売したのが始まりだそうだ。郵便局や有名雑貨店で販売され、テレビなどで取り上げられたことから認知度があがり、今年は「お盆玉」のぽち袋は完売になっている所も多いとのことである。ある調査では、この3年で認知度が3倍になっており、シニア層の1/3が「お盆玉」を渡すと回答していることから、今後は、お正月の「お年玉」のように孫や子供に「お盆玉」を渡すことが一般的になっていくのではないかと思う次第である。

 

 

(T. T)